別れられない。モラルハラスメント被害者として 私の別れられない心理1

こんにちは。

りらです。

 

モラルハラスメントを自覚してから、もっぱら「なぜ別れられないのか」とカウンセラーに問われ自分でも考えるのですが… 色々思うことを書きたいと思います。

 

前置き

いま、モラハラかも?と一人で悩んでいらっしゃる方でしたら谷本惠美さんの書籍「カウンセラーが語るモラルハラスメント 人生を自分の手に取り戻すためにできること」を一度読んでみてくださいね。私も、うちがモラハラまでいくのか?どうかなとネットを漁っていましたが、この本に書かれていることがピッタリ当てはまってモラハラ被害を自覚しました。モラハラの全体像やこれからの事、お子さんがいる場合のことも書いてあります。ぜひ。

 

理由はわからないけど、別れられない。

今まであった辛かったこと傷ついたこと苦しかったことを一通り話すと、友人もカウンセラーも一様に「なぜ別れないの」と問います。当たり前ですけど^^;

 

本当に不思議なんですけど、私の場合、「別れる」という選択肢が一切自分の中から消えてしまいました。そもそも、そんな概念は無い。という状態です。

 

離婚なんて本当にあるの?みないな箱入り娘でもなく、下町育ちの娘です。いままで僭越ながら何人かの優しい彼氏とお別れして今に至るわけで、昔は当然、「別れる」という選択肢は普通に持っていたのですが。

 

恐ろしいんですけど、今も「別れる」というキーワードを考えても「口を開けてポカン」状態になるんです。頭では、モラハラとはいかに加害者と距離を置いて心を回復させるかが重要で、自分が何に依存しているのかよく理解するのが大事だとはわかっているのですが。

 

たぶん、夫が離婚に対してものすごく否定的な考えを持っていて「離婚とは絶対あってはならないもの」と常に言われてきたからかもしれません。

 

今ふと思い出しましたが、モラハラが始まって数か月の頃は、私も「もうこれなら別れたほうがいいんじゃないの!?」と泣きながらキレていた気がします。たぶん何度もあったと思います。

それで確か何かの時に、「喧嘩して「別れる」と言うのは禁止」となりました。

 

まぁ、健全なカップルでも建設的な喧嘩のためにこういうルールを作ることもあるだろうから、「別れる」というキーワードを存在しないことにするほど強烈なもので無いかもしれませんが。

 

モラルハラスメント被害者としての私の心理、その一。

「別れる」を考えること、そのものを心が拒否している状態。

 

んーどう進もう?と思うのですが…。

いろいろな角度から、自分の心理に迫ろうと思います。

いわゆる共依存の気持ちや、彼は本当はいい人では?とか、親との関係についても思うことがあるので、次の記事にどんどん書きます。

 

ではでは。

 

 

 

 

彼氏が避妊してくれない。その結果。

こんにちは。

りらです。

 

この数日、勢いに任せて記事を書いているのですが、意外と中絶に関する記事へのアクセスが多くありました。もし、若い(といっても私は20代半ばで失敗しましたが)女性が見て、自分の身を守る気持ちになってくれればいいなと思い、今日は書きます。

 

ここから先は、私の一個人の体験談です。

 

彼氏が避妊してくれない。

そう悩む女性は常にいるのではないでしょうか。

私の多くない経験上でも、一定数で「外出し」「最初は生」派の男性はいます。別にヤンキーや職人さんでなく、大手企業のサラリーマンや公務員でも。(すごく個人的には1970年代生まれは緩い気がする…。同世代のほうが避妊に積極的な印象。)

 

私の場合、大前提で、お付き合いしていない男性とは身体の関係は持ちません。そして初めのエッチでえっ?と思っても言い出せず、後で「次からはつけてね。」というタイプでした。で、駄目なら話し合ってピルを飲む。

まぁ一定数で避妊に対して甘い考えの男性はいるし、付き合っていく中で考えを変えてもらえばいいや、と思っていました。

 

ちょっと思い当たる方いますか?この先を読んで、考えを改めてくださいね。

 

避妊してくれない彼氏の言い分

20歳半ばに付き合った彼も、初めてのエッチが「外だし」でした。

えっ、と思いましたが、初めてのロマンチックな状況で拒絶するのも大人げない気がして言いませんでした。次のデートの約束をする際に、メールで「次からは避妊してね」と伝えると「そうだよね、本当ごめん!!これから気を付けるね。」と返事がありました。

 

その後のエッチで「外だし」はなくなりました。完全な避妊をすることも数回ありましたが、ほとんどは「最初は生」でした。彼からすれば、「最初は生」であっても、いままでよりも「しっかり避妊している」つもりだったそうです。外だしでもデキたことが無かったので、自信があったんでしょうね、まったく不安がなかったそうです。

 

でも私は不安です。当然、本番前に分泌されるものにも精子があって妊娠する可能性があることは知っていました。だから、きちんと避妊できないなら「ピル飲んだほうがいいかな」と話を切り出しました。すると「ピルを飲むなんて、本気じゃない相手とセックスするからだろう。子供ができたら困るような遊びの相手じゃなければ、飲む必要はない」とハッキリ言われました。

 

私は20歳半ば、彼は一回り年上でした。とても優しくて紳士な人だったので、私は結婚も意識してお付き合いしていましたし、同棲の計画も立てていました。遠回しに「デキても結婚すればいい」と言われていると思ってしまった馬鹿な私は、ピルなしで交際を続けました。

 

ハッキリ書きますが、我慢汁で妊娠します!!

馬鹿で夢見がちな男性が「我慢汁って妊娠するのかな~?」なんて言っていたら、ハッキリ言ってやってください。「我慢汁で妊娠した人、知ってるし!馬鹿じゃないの!!」と。えぇ、私が証人です。

 

三ヵ月ほど「最初は生」エッチを続けた結果、めでたく妊娠しました。三ヵ月といっても毎日していたわけではないので、その成功率がいかに高いかお分かり頂けると思います。

 

妊娠したといっても前述のとおり「産む」ものだと思っていたので、ショックよりも嬉しさがありました。その後受診した産婦人科でもらったエコー写真では胸がいっぱいになりました。

 

その後の地獄

あれほど自信満々にピルは飲むもんじゃないといい、経済的にも年齢的にも成熟しているであろう彼が、妊娠と同時にだんだん情緒不安定になっていきました。

そして私に対して些細なことで責めるようになりました。ちょうどその頃、計画していた同棲を始めたので毎日仕事以外の時間は二人きりです。

彼の中で「本当にこの女と結婚していいのだろうか」という不安が生まれていくのが手に取るようにわかりました。仕事中、メールの返信が三時間遅れれば「浮気していたんじゃないか、思わせぶりな態度をする性格の悪い女なんじゃないか」と睨み、怒鳴り、叱責するようになりました。

私は相手の不安が見えたから、根気強く「違うよ、誤解だよ、大丈夫だよ、変わるから、頑張るから」と耐え、彼の言うことを聞き、「大丈夫だから、二人で協力して産もう」とメッセージを送り続けました。

 

ついに彼が納得して「今日、まずは自分の両親に話をしてくる。後で一緒に挨拶することになると思う」と言いました。彼の地元に住んでいたので、特に親への報告の順番は気にしていませんでした。

私はドキドキして、仕事の後大急ぎでデパートに寄り、手土産のバームクーヘンを買い、ストッキングに穴がないか入念にチェックして帰宅しました。

すると、いつもなら帰宅していないはずの彼が帰宅していました。何かおかしい、と思った瞬間、彼は言いました。

「ごめん、やっぱり堕ろしてほしい。」

「親父とも話して、やっぱりまだお前と結婚するのには不安があるのを見透かされた。もし産んだ後、離婚することになったら子供がかわいそうだ。」

「お前のことはいい女だと思っている。この先も一緒にいたい。もっと時間をかけて、順序を踏んで結婚して、そのあとに子供を持ちたい。」

「子供を持つ前にしかできないことを、もっとしてやりたい。たくさん海外旅行にも連れて行ってやりたい。二人の思い出を先につくろう」

 

本当に申し訳なさそうに、でも信じてほしい、という態度でした。

私は日々彼からのプレッシャーで、こわばった身体から気が抜けていきました。

もうバームクーヘンのことも忘れていました。

 

「もし、一緒にいたくないというのなら、慰謝料として200万は払う」

「無理に一緒にいてくれとは言わない」

 

もう何が何だかわかりませんでした。

 

何日も悩みました。でも段々とつわりで吐き気がでるようになりました。出張にいくのもきつい、会議でも座っていられない。彼からの叱責は、その後も毎日続きました。その間にも子供は育っていきます。もう精神的にも体力的にも限界に達し、期限とされていた日を前に「もう堕ろします」と連絡しました。

 

そして彼のしおらししく「一緒にいたい」といった言葉や、いい年になって責任をとれなかったことにも同情してしまい、交際を続けました。

 

その後のさらなる地獄

手術後の経過は順調でした。

また、この件は自分の両親には言いませんでした。私は長女だったので、まさか初孫をおろしたなんて言えませんでした。

しばらくは、何事もなかったように過ごしましたが、数か月後出産予定月とされていた日に情緒不安定になり、心療内科で鬱と診断されました。

いまは鬱が原因で会社も退職しました。

 

彼からの叱責はその後も続きましたが、「子供を犠牲にしてまで、彼と一緒にいることを選んだ」という思いもあり、「自分を変えて、彼に納得してもらえる女になろう」と思い毎日彼の顔色を見て耐える生活を続けました。

そして、しばらくして結婚しました。私にとっては、それが中絶への答えでした。その頃から私はだんだん「早く死にたい」と思うようになりました。なんだかもう疲れていました。今思えば、本当に不幸な花嫁でした。

 

後に、これがモラルハラスメントの関係にあることを知りました。今は病院に通い、少しずつ自分を取り戻そうとしているところです。

 

なんだか、本当にあった怖い話みたいになってしまいましたが。

「彼氏が避妊してくれない」そんな、どこにでもありそうな不安の結果。その一つが私の経験です。中絶は予想をはるかに超えるぐらい自分を傷つけます。私の彼が特殊だったかもしれません。でも、妊娠するまでは本当に優しくていい人でした。

 

だから、避妊は確実にしてください。結婚前なら絶対に。なんとなくポワンとしている場合じゃありません。彼氏に振られた後でちょっと心がすさんでいても、避妊は絶対です。もし、彼氏に言いづらかったらピルを飲んでください。そのあと、避妊しない男と付き合い続けることについて、よく考えてみてください。

 

少しでも目の前の状況や、抱えている不安に現実味をもっていただけたら幸いです。

ではでは。

 

モラハラ夫は映画でも心情が理解できない?

こんにちは。

りらです。

 

つい最近のことですが、モラハラ夫と映画を見たときに興味深いことがありました。

 

まず、夫の映画の趣味はアクション・マフィア・ホラー系でいわゆるわかりやすい展開のハリウッド映画が大好きです。

私はホラー以外なんでも観ますが、一番好きな映画はダンサーインザダーク。セリフ少なめの人間ドラマも大好きです。

 

 

2人でレンタルDVDでフォックスキャッチャーという映画を見たときのことです。

 

実際の事件を元にした映画なのですが、冒頭、セリフはほぼ無く、主人公の生活が描かれていました。

 

私「ねー、こういう静かな映画のとき、〇〇君はどうやって観てるの?今までのシーンで主人公はどんな人だと感じた?」

 

彼「え?なんにも感じないけど…。ただ子供の前で講演して、金メダル見せて、レスリングの練習してる人」

 

私「なるほど。」

彼「りらは?」

 

私「講演してたけど子供は退屈そうにしていて、金メダル取ったのに尊敬されていない。練習相手してたお兄さんは、コーチの依頼も来てうまくいっている。会話から、いつまでもお兄さんを越えられない劣等感を抱いた人。現状に満足してない感じだと思った。」

 

彼「…!どうしよ俺やばいかな」

 

私「いや、人それぞれだよ!あってるかわかんないし!」

 

 

実際、あってるかもわからないし、モラルハラスメントと関係無く本当に人それぞれだと思いますが。

 

感じ方って違うんだなあ〜。

私が辛い時も、読み取ってもらえてないのかな〜?と思う出来事でした。

 

もし見た方がいたら、冒頭の感想教えてくださいね^^

 

ではでは。

 

 

 

心療内科・カウンセリング・薬、本当に「相性」ってあるんだなぁな体験2

こんにちは。

りらです。

 

前回からの続きです。

二件目の心療内科へ行く

一件目の心療内科で暴言ともとれるような対応をされた私。めちゃくちゃ落ち込みました。男の若い先生だったので、女性のカウンセラーに口を出されたのがプライドに触ったのか?あまりに感情的だったよな~。。としばらくぐるぐる考えていました。

 

でも日常は家と仕事の両プレッシャーで常に身体も心もザワザワしていました。このままではいけないと、前回のカウンセラーさんに電話をして先生を紹介してもらうことにしました。カウンセラーさんも驚いた様子で、じゃあ少し遠いですけどウチに通っている患者さんに人気の〇〇クリニックに行ってみてください。と教えていただきました。

 

今度は街中のビルに入ったクリニックです。

待ち時間もあまりなく予約時間に診察となりました。40~50代の男の先生でした。優しい口調の先生で、前回の病院の話をすると「えっ、何も聞かずにそういうこと言うんですか~。それはちょっとひどいですねぇ。」と。私の話も30分ほど聞いてくれました。

この病院では先生の診察と並行してカウンセリングも受けることが出来たので、次回からは一時間のカウンセリング+先生の診察を受けることになりました。

 

抗うつ薬に抵抗がある旨を伝えると、じゃあ漢方と寝れないときは抗不安薬で様子を見ましょうと対応してもらえました。

 

とにかくホッとしました。

今まで超健康優良児だったので病院のハシゴは初めてでしたが、変えて本当によかったです。待ち時間のストレスからも解放されて(一件目は予約時間プラス二時間は待つ)本当によかったです。

 

でも一件目も常に人がいてネットの口コミもよかったんですけどね、私にはいい印象皆無です。

 

病院でのカウンセリング

二回目の診察でカウンセリングを受けました。毎回、同じ臨床心理士の方が担当してくれるとのことでした。私の担当は40代後半ぐらいの可愛らしい見た目の女性の方でした。

今までの中絶の話、仕事の話を一通りしましたが、私はとにかく自分ことをわかってほしい一心で喋り続けました。それで一時間終了。それでも最後には、あなたがこういう状態なのはわかりました。今後ゆっくり心を整理していきましょう、となりました。

 

二週間おきに、三か月ぐらい通ったころには、お互いに会話できるようになりました。毎回繰り返しの話も多くあったと思いますが、最後には「自分の気持ちを第一に優先して考えられるようになりましょう、まずはそこからですね」となりました。

 

カウンセリングを受けると「自分が大事」と普通ならあたりまえの感覚が戻ってきます。そして二週間かけて彼中心の世界に戻っていき、またカウンセリングで「自分が大事」の感覚を取り戻す、その繰り返しでした。

 

でも、人に言いづらいことを話せて、くどくても泣いても嫌な顔されない相手は重要でした。また、最後に「自分が大事」の感覚を取り戻させてくれるのも有難かった。たぶん割とサクッともの言う方だったし、結果これだけ話せたのは相性が良かったんだと思います。

 

ついに精神的DV・モラルハラスメントを自覚

カウンセリングは、うつの症状と、中絶のことを中心に話しているつもりでしたが、だんだん自分が彼の話ばかりしていることに気づき始めました。

 

何をするにも彼が、彼の、彼に、彼から。

それに、「ちなみにこの時、彼には「お前の自業自得だな」っていわれましたよ。ははは、、は、わーーー(号泣)」みたいな会話が多く、傷ついてないつもりでも、すごく傷ついていたことを知りました。

 

ある日、うすうす感じていたことを質問してみました。「今の私と彼の関係は精神的DVやモラハラと言われるものでしょうか?」すると「今までのお話しからすると、典型的な精神的DVの加害者と被害者です」と言われました…

 

相談していた友人からすれば、何を今さら!散々今まで「アイツおかしい!」って言ってきたじゃん!と言われそうですが、本人は「でもその背景を友人は知らないし・・・」とか色々思ってモラハラでもDVでもなく「自分が悪い」と思い込んでいました。

 

たぶんプロに言われたから、というよりは、カウンセリングを繰り返す中で客観性が戻ってきてようやく自分の状況を受け止められるようになったからだと思います。

 

これからも

今も同じ病院で同じカウンセラーさんのカウンセリングを受けています。カウンセリングで心が軽くなると体の症状も変わりますから、都度先生にも話して薬を調整してもらっています。

逆に心が軽くなっても身体がだるくなり時もありますが、なかなか即リンクするものでもないし、実は緊張しているのかも、ということで様子見したりしています。

 

話をまとめると、病院は変えてもいい。薬も変えていい。カウンセラーさんも私はたまたま気が合ったのですが、合わなければ変えていい。有能なカウンセラーでも相性があわないと、うまくカウンセリングがすすまないそうです。

 

長々とした体験談になってしまいましたが、参考になれば幸いです。

もうちょっとここつっこんで教えてよ、ということがあればコメントください。

ではでは。

 

 

 

心療内科・カウンセリング・薬、本当に「相性」ってあるんだなぁな体験1

こんにちは。

りらです。

 

恋人との間にできた子供を人工中絶し、その後、彼からの精神的DV・モラルハラスメント(自覚はありませんでしたが)に約一年耐えた耐えた結果、晴れてうつ状態に陥り心療内科に行ったのですが… 病院との相性は、あります。すんなりとは進まなかった体験談です。

 

私のうつ状態

中絶したことへの自責の念と、日々彼の顔色を見ながら同棲生活を送っていた緊張感からか、だんだん気分の落ち込みだけでなく、

・なかなか寝付けない、夜中二時に目が覚めて寝れなくなる、朝早く起きすぎる等、眠りがうまくいかなくなる

・のどが閉塞するような詰まるような感覚

・耳鳴り (特に「もう嫌だ!」と感じるときに)

・動悸 (なぜか仲の良い友人や会社の同僚と話すときに)

・手の震え

などの身体症状が出てきました。

さすがに自分でも「なにか本当にヤバいかも」と思い、彼にちょっと最近変だから心療内科に行きたい旨を伝え、(基本的に仕事以外の外出は申告しておかないといけない)病院に行くことにしました。

 

今思えば気分の落ち込みもひどくなっていて、毎日決まった時間にピークを迎えるようになっていました。(なぜか会社からの帰宅途中、自宅の最寄り駅から自宅までの道中に号泣)

常に「早く人生がおわらないかな。早く早くまきで終わらないかな。」と思っていました。

 

一件目の病院

自宅から徒歩で行ける範囲に、わりと大きな個人病院がありました。駐車場もいつもいっぱいで、ネットの口コミもいいことしか書いてなかったので、不幸中の幸いとばかりに初診。

診察は、始めに看護師の女性の方に問診?最近の状態を質問されること10分、先生の診察10分。一般的な抗うつ薬が処方されました。

アレ?心療内科って、色々今の状態を聞いてくれるんじゃないの?と思いましたが、やや取り乱す私をよそに、あっけなく診察終了。

モヤモヤが残りましたが、こんなもんなんだと納得。

 

ちなみにこの時は、モラハラ・精神的DVなどの彼が原因で鬱っぽくなっていたとは思っていなかったので、「中絶したり仕事も忙しかったりで鬱っぽいです」みたいな話をしました。

 

投薬一種目

一週間ほど続けてのんだ後から効果が出ます。といわれましたが、飲んだ翌日から眠すぎて朝おきられない!身体がだるくて会社に行くのが辛い。これはおかしいだろうと病院へ。

「相性が悪そうですね」と、あっさり薬が変わりました。

よくあることです、みたいな感じだったので無理して飲まなくてよかったです。

 

投薬二種目

二種目は前よりマシだったので継続して飲む。すると本当に一週間後ぐらいから気分が明るくなったのです!青空のすがすがしいことよ!逆に、本当に鬱だったんだなぁと切なくもなりましたが。

今まで悩んでいたことを考えようとしても白いモヤの向こうにあるみたいに感じられて、「深く考えない」モードに勝手になった感じでした。

会社でも周りの人に冗談が言えるようになったので、いい感じだなぁと数週間薬をのんでそのまま通院も薬も辞めてしまいました。

 

数か月後、うつの再悪化

数か月後、年度末で仕事が忙しくなってきた頃、また眠れなくなり、前述の身体症状や気分の落ち込みが再発しました。自分でも「また来たな」という感覚がありました。

 

前回の病院に行くことも考えましたが、なんとなく薬で頭にモヤをかける治療に疑問がありました。モヤをかける悩みの根本を取り除かないと、一生薬が必要になるんじゃないの?と思いました。

そこでネットでカウンセリングルームを探しました。なるべく公的な機関で、病院での勤務経験や学会への参加があるカウンセラーがいる場所を探しました。結果、初回無料でよさそうな場所があったので伺いました。

 

初めてのカウンセリング

住所はあるマンションの一室でした。大丈夫かな~と思いましたが、中は広く、カウンセリングの部屋とうつの患者さん?が日ごろ過ごすスペースがきちんと整えてある場所でした。

 

カウンセラーさんは、おそらく5歳ほど年上の女性でした。優しい口調でどうされました?と聞かれて、始めは冷静にかれこれこんな経緯でこんな状態なんです~と端的に説明しました。でも「大変でしたね。中絶してどう感じましたか?」と聞かれた後、「いや、悲しかったです。それに、産みたかったのにかれこれここんな状況で色々あって産めなかった」と話し始めたら、止まらなくなり、最後はワーワー泣いていました。

 

人に話すことで、「中絶で傷ついたんだ、まだ悲しいんだ、理不尽だと思っていたんだ」ということに気づきました。

 

普段、彼からは「前向きにならないと。過去を振り返って泣くなんて時間の無駄。今お前が泣いているのに合わせて俺の気分も暗くなる。今この時間が腐った無駄な時間だ」と言われていたので、無意識に考えないようにしていたと思います。

 

カウンセラーさんからは、「過去のつらい気持ちに蓋をしても、いつか爆発してしまう。蓋をして我慢する時間が長ければ長いほど、後の爆発が大きくなる。重度のうつ病になるかたも長年耐えて爆発してしまう方が多いんですよ。」

「辛かった気持ちを出すことも大事」

「もし仕事もストレスになっているなら休んでもいいんですよ。自分の身体を何よりも大事にしてください」と言われました。

 

休職という選択肢のことや、診断書がいること、経済的に心配であれば障がい者手帳で負担が軽減されるなど色々教えてもらいました。

 

一件目の病院へ再診 衝撃の対応

その後カウンセリングの「自分を大切にしていい」の言葉にうたれ、病院に休職の相談も含めて再診に伺いました。このころ、家も仕事も辛く、かなり憔悴していました。

先生には、あの後調子が良くなったが、また悪くなったこと、カウンセリングを受け休職について助言をもらったことなどを伝えました。

すると

先生「は?なんでカウンセラーは休めって言ったんだよ、ブツブツ…。あなた仕事休んでなにするの?家でゴロゴロするの?ゴロゴロしてどうするんの?それで鬱が治るわけ?仕事してなくて、あなたって何なの?」

私「え?でも少しでもストレスを減らして心を休めたいと思ったんですが・・・」

先生「で?ゴロゴロするわけ?そんなにしたいなら一週間出すけど、ブツブツ」

私「(プチッ)いや、いいです。結構です。ありがとうございました。」

で、すぐに帰宅。

 

ええーーもうこっちは藁にもすがる気持ちで行ってるのに!悔しいし空しいしで帰宅して気が緩んだら泣けてきました。彼もこの日ばかりは、そんな医者いるの?もう行かなくていいと味方になってくれました。

 

 

次回、二件目の病院に行った話を書きます。

ではでは。

 

私の精神的DV・モラハラ被害2 ~相談できなくなる~

こんにちは。

りらです。

 

私の精神的DV・モラハラ経験について書きたいと思います。

でも初めに。いま、モラハラかも?と悩んでいらっしゃる方でしたら、こうしたネット情報ではなく、谷本惠美さんの書籍「カウンセラーが語るモラルハラスメント 人生を自分の手に取り戻すためにできること」を読んでみてくださいね。私も、うちがモラハラまでいくのか?どうかなと思っていましたが、本に書かれていることにピッタリ当てはまってモラハラ被害を自覚しました。これからの事やお子さんがいる場合のことも書いてあります。ぜひ。

 

前置きが長くなりましたが、ここから一個人の体験談です

 

友人への相談

彼とのことを誰にも言わなかったわけではありません。

友人数人にはラインや電話で連絡をとりあっていました。

 

モラハラが始まってすぐに「そんなこと言うのおかしいよ!」と全員彼のことを否定していました。私はすっかり彼の言葉を真に受けていたので、友達の意見に「やっぱり彼が変だよね!」と一瞬正気に戻るのですが、

 

数日彼の罵声を浴びていると、やっぱり私が悪いんだと彼中心の世界に戻るようになっていました。

 

また、彼は束縛が多く、彼といる間はラインも電話もできません。平日の夜に出かけることは許されませんでしたし、週末も彼と過ごすのが当然とされていました。

彼の言い分は「まだフラフラ遊びたいなら結婚には早い。同棲する意味がないし、俺はそういう女は嫌いだ」ということでした。

結果、理由を説明して事前に許してもらわないと友達とは会えず、2か月に1回、誰かと会える程度の周期になりました。

 

私は子供の命を犠牲にしているんだから、辛抱強く彼の信頼を得ていかなければと思っていたので、そんな状況でも彼のルールを守っていました。

 

そうなると、友人のほうも段々といら立ちが募ってきます。

どんなに心配しても相談に乗っても愚痴を聞いても、結果私は彼を選ぶ。出かける約束をしてもドタキャンされる。

時々会っても、だんだん情緒不安定になって泣くなど。

自分でも、こんな友人嫌だと思うのに、二か月ぶりに誰かに会えた数時間すら普通にしていられなかった。声が上ずってしまう。

 

だんだん、誘われなくなり、私も連絡しないようになっていきました。

今も時々会うけど、なんだか歯車がかみ合わなくなってしまっています。

 

 

一番つらいのは、毎週遊んでいた親友です。何でも話し合ってきたし、思考回路がほぼ一緒の友人でした。

 

きっと彼女には、「私を救えなかった」という気持ちもあると思う。これは予想だけれど。中絶し、ひどいことを毎日言われて、でも抜け出せない状況にいる親友。何度も実家に連絡するよ!と脅して来たり。もう縁切るよ!と言ったり。それでも離れられない私。

辛い思いをさせて、本当に申し訳ないと思っている。

心の底から馬鹿でごめんと思う。

 

 

そして命綱のような「普通の」意見から遠のいていきました。

 

※この申し訳なさ。友人。どうやって友情を回復していけばいいんでしょう。課題です。

 

じゃあ誰に相談すればいいの?

結果的に、私はプロ、つまりカウンセラーの方と二週間に一回1時間、カウンセリングの中で対話して「普通の」意見を聞いています。

やはり友人には荷が重かったと思っています。

プロなので私がどんなに取り乱しても、落ち着て話をくみ取ってくれます。

 

それで最後には「自分の気持ちや思いを一番に優先させていい」という、気持ちにさせてくれます。普通の人からしたら、何を当たり前のことをと思うと思いますが、モラハラ被害にあっていると自分より相手優先で全てのことを考えてしまうようです。

 

病院については別記事にまとめます。

ではでは。

 

私の精神的DV・モラハラ被害1 ~被害者も自覚なし~

こんにちは。

りらです。

 

私の精神的DV・モラハラ経験について書きたいと思います。

でも初めに。いま、モラハラかも?と悩んでいらっしゃる方でしたら、こうしたネット情報ではなく、谷本惠美さんの書籍「カウンセラーが語るモラルハラスメント 人生を自分の手に取り戻すためにできること」を読んでみてくださいね。私も、うちがモラハラまでいくのか?どうかなと思っていましたが、本に書かれていることにピッタリ当てはまってモラハラ被害を自覚しました。これからの事やお子さんがいる場合のことも書いてあります。ぜひ。

 

前置きが長くなりましたが、ここから一個人の体験談です。

 

モラハラの始まり

私のモラハラ加害者は、交際二か月の恋人(後に夫)でした。

年齢は一回りほど年上で、若いころはヤンチャだったそうですが穏やかで紳士的な人でした。バツイチで元奥さんのところに子供がいますが、離婚に関して何年も何年も後悔してようやく、次こそ幸せな家族をもとう。別れた奥さんや子供にしてあげられなかったことをしよう。そうやって前向きに進もうとしている人でした。

もちろん養育費も払っていますし、時折面会できる日には精いっぱい子供を愛していました。

 

年頃かつ初婚の私の相手としては、すでに訳アリだったわけですが、素直で優しくていい人でしたし、今どきバツイチは珍しくないと思い交際を始めました。

 

相手も大人でしたし、遊びではなくお互いに結婚を意識して同棲をしようとなりました。彼の家によく泊まっていましたが、いつも穏やかで明るく仕事熱心。一人でも真面目に生活していて、好感がもてる人でした。

 

同棲が開始してすぐに妊娠がわかり、状況がだんだんと変わっていきました。

まず彼が私の言動・行動色々なことに小言を言うようになりました。

 

例えば、トイレの電気をつけたまま会社に行ってしまったこと。

ラインの返事が3時間後になってしまったこと。

たばこを吸っていること。

休日に彼が夕方帰宅する際、ソファで昼寝してしまっていたこと。

男性上司と二人で出張に行ったこと。

男性上司を褒めたり、尊敬している旨を話したこと。

化粧品を買ってきたこと。

たわいない会話の中で映画に行きたいね、と言ったこと。

1200円の海鮮丼に「え?安い?」と聞いたこと。

 

注意、ならまだいいです。

注意したあとは、ふて寝するまで言葉の嵐。

 

本当に君には失望した。初めは完璧だと思っていたのに、評価が下がるばかりだ。正直、こんな人だと思わなかった。がっかりだ。

お前はアバズレだ。お前は人間として腐ってる。お前みたいなやつ友達も嫌がる。誰もいいと思わない。お前は自己中だ。お前は金があれば自分のものしか買わない。

誰の金で遊べてると思っているんだ。お前が出せ。馬鹿が。気分が悪い。お前のせいで飯が不味くなった。最低最悪だマジで。根性が腐っている。クソ事務員が。

 

理由があるときに言い返すと(「今日は緊急のことがあってバタバタしていて携帯を見れなかった。」「聞き間違いだし、そういう意味でいったんじゃないよ!」等)

言い訳する奴が一番嫌いだ!と一蹴。

 

睨みながら。溜息をつきながら。

お前は人間として腐ってる、はほぼ毎日言われたワードでした。

 

極め付きは「お前がそんなんだから、子供も産ませられなかったんだ!」

 

私は妊娠後、産みたかったのですが彼の同意を得られず中絶しました。結婚する前に、まだお互いに知り合う時間がほしい、というような趣旨を言われ、「今回は中絶するけれど、この先も一緒にいてほしい。たくさん旅行して二人の思い出をつくって順序をふんで結婚後に子供をもとう。」と言われて同棲は継続していました。

先ほどの言葉が、結構こたえる内容だったと伝わるでしょうか。

 

私は一生懸命、信頼関係を築いて結婚して子供をまた授かりたいと思っていたので、彼の罵声にきちんと答え、自分を改善しようと日々務めていました。

モラハラではなく、単に厳しく注意されていると思っていました。中絶したことで自尊心が低下しているタイミングでもあったので、「結果的に中絶するようなことになったんだから、私の生き方が悪かったのかも。」という思いもありました。

 

こんな日もありました。

私は建設業で周囲は男性社員ばかりでしたから、会社の話には男性が登場します。何かが彼にヒットしてしまえば「お前はアバズレ」モードに入ります。

 

ある日「お前はアバズレ」モードに入った彼がいきなり女性数人に連絡をとったことがありました。そして、わざと女性からラインが何件も入ってくるのを見せつけるのです。

そもそもモラハラが始まってすぐに、私の男友達の連絡先はすべて消しましたし彼もそうしたはずでした。でも保険として女性数人の連絡先はとっておいていたようです。

 

いら立った彼が、夜中に私服に着替えて女性のところに行こうとしたこともありました。私はビンタして引き止めました。

私たちは一人の子供の命を犠牲にして、お互いがもっと知り合う時間を作ったのに。なんで、そういうことをするのか、悔しかった。

 

そんなこんな、毎日罵声をあび、彼の一挙一動に気を使い、それでも頑張ろうとしていた期間が半年ほど続きました。

もうこの頃には、世界の中心は彼で、私は「幽体離脱」しているかのように心と体がバラバラになっていました。

怒られいるのは自分なのに心はフワフワと浮いていました。

もちろん仕事も、会社には行っていましたが頭は働かず、家で寝れていないのでトイレで二時間ほど寝てしまうこともありました。

 

たった半年。されど辛い半年でした。

私の心は完全に彼に支配されていたのでした。

 

今日はここまで。

ではでは。