モラハラ開始から2年と水子供養
こんにちは。りらです。
前回のブログ記事が2月。ただいま10月。
すっかり間が空きました。
この8ヶ月で夫のモラハラどんな感じ?な事と、私のカウンセリング経過、多少社会に出てひっこんだ話を続けて書こうと思います〜
で、この8ヶ月で夫がどうなったかですけど、
それはそれは…
いい子になってきています!
暴言も無くなったのは継続しつつ、私が落ち込んだとき(フラッシュバックによる混乱も含め)なぐさめたり、本当に俺が悪かった、と口にしたり。
当たり前の夫像かもしれませんが、そういうことが普通になった。
先日、夫の口から
「水子供養に行こうよ」という言葉がでました。
供養については堕してすぐの頃、私が供養したいと言っても当日になるとイライラしたり暴言をあれこれ吐いて結局行かずじまいでした。
時間もお金も制限されていた私は、すぐ近所のお寺に時を見計らって1人で手を合わせに行ったことが思い出されます。
辛かったなぁ。
そんな訳なので、彼の口から供養の話が出るなんて驚きとイマサラな事だったのですが、、
彼に過去の経緯を伝えると
「俺、、そんなひどい事したんだ・・」と。
、、、覚えていなかった。。
まぁでもひどい事したと感じる感性が今はあってよかったね、と。
翌週末に水子供養をやっているお寺さんに予約を取り、改めて供養できました。
悔しいかな、お坊さんの読むお経の中で、我が子は夫の苗字でOO家代々の〜と呼ばれるわけです。
でもそんなとき、改めてあの中絶は私と子の出来事ではなく、彼にとって、ひいては彼の家系にとっての出来事でもあったんだなぁと。
ふとお盆に行った彼の家のお墓を思い出しました。海の見える高台の墓地でした。
堕してしまった子にも、あの穏やかな海の景色と縁ができてたんだと思うと少し安らいだ気持ちになりました。
供養して、子が幸せになったかはわかりませんし私の気が晴れる事もありませんでした。
でも、彼を許していいのかもしれない、という気持ちがじんわりと芽生えました。
。。。
モラハラに耐える事はいいことではありませんし、実際私には無意識に強い依存体質があったから一緒にいただけです。
自分を保つには逃げるしかないと今も思います。
その上で、職をなくし自分をなくしたその先で今は少し温かい気持ちの日々です。